蛸薬師堂(永福寺)

蛸薬師堂の入り口

当サイトでは各種ASPを通じて広告・アフィリエイトリンクを掲載しています

蛸薬師堂の概要

平安時代末期、室町に住んでいた富豪 林秀は延暦寺 根本中堂の薬師如来を深く信仰し、出家して僧となった。

養和元年(1181)、林秀は長年の習慣としていた毎月の比叡山参りが老齢のためできなくなることを薬師如来に報告した。

その日の夜、林秀の夢の中に薬師如来が現れ、「かつて伝教大師(最澄)が私の姿を彫刻した像が比叡山に埋めてある」、というお告げを聞いた。

翌日、薬師如来のお告げで聞いた場所からは本当に石で彫刻された尊像が見つかり、この像を二条室町に建立したお堂に祭って永福寺としたのが蛸薬師堂のはじまりという。

天正十八年(1590)に豊臣秀吉によって現在地へ移転。当寺の通称からとられた「蛸薬師通」という通りの名前は現在も残っている。

以前は隣に圓福寺というお寺があったが、明治時代に永福寺と合併。

その後、愛知県にあった妙心寺(京都の花園にある同名の寺院とは無関係)と円福寺が寺号を交換したため、蛸薬師堂の奥には現在も阿弥陀如来を祀る妙心寺というお寺があり、一つの寺院が二つの寺号を有する特殊な形となっている。

蛸薬師堂の見どころ

蛸薬師の伝承

建長年間(1249 〜 1256)の頃、永福寺には善光という僧が住んでいた。

病床の母の「タコを食べたい」という願いを叶えるため、善光は生のタコを購入して箱に隠し持ち帰ろうとしたが、僧侶でありながら生の鮮魚を食べようとしているのでは、と周囲の人々から怪しまれてしまう。

人々が無理やり箱を開けようとしたため、善光は本尊の薬師如来に助けを願ったところタコは八軸の経巻へと変化し事なきを得た。

病床の母の前で八軸の経巻は再びタコに戻り、この時に放たれた瑠璃光を浴びた母の病も完治したという。

このことから永福寺の本尊は蛸薬師如来として信仰されるようになったと伝わり、永福寺も蛸薬師堂の通称で呼ばれるようになった。

蛸薬師は病気平癒のほか、暗闇でも目が見えるといわれるタコの習性から眼病平癒の信仰もある。

またタコの吸盤が吹き出物やイボを取り払ってくれる、と信じる人もいる。

蛸薬師堂 写真撮影の注意事項

境内は一切の写真撮影が禁止。

蛸薬師堂の混雑

空いている日が多い。

蛸薬師堂の御朱印

蛸薬師堂(永福寺)の御朱印

300円。

蛸薬師堂のアクセス

住所と地図、経路のリンク

電車 バス

  • 地下鉄 烏丸線「四条駅」徒歩10分
  • 京阪電車「祇園四条駅」徒歩5分
  • 阪急電車「河原町駅」徒歩3分
  • 市バス(系統:3、4、5、10、11、12、15、17、31、32、46、51、59、80、86、急行104、急行106、201、203、205、207、岡崎ループ)「四条河原町」徒歩3分

駐車場

なし。

繁華街なのでコインパーキングはたくさんあるが、人通りが多い上に一方通行で道がわかりにくいので観光客が車で乗り入れるのは控えたほうがよい。

蛸薬師堂の基本情報