粟田神社

粟田神社の鳥居

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粟田神社の概要

粟田神社の創建に関しては諸説ある。

貞観十八年(876)「戦乱、疫病が民を苦しませる」旨を奏上された清和天皇は、出羽守 藤原興世(おきよ)を勅使として感神院祇園社(現在の八坂神社)に遣わした。

藤原興世は一週間にわたり祇園社で祈願していたところ、最後の夜に「東祇園の東北に牛頭天王(ごずてんのう)縁の地があり、そこに大己貴命を祀れば国家が安泰である」というお告げを聞いた。

このお告げを神意として創建されたのが粟田神社であるという。

あるいは、かつてこの地を治めていた粟田氏の氏神として創建された、という説もある。

永久年間(1113 〜 1118)に東陽坊忠尋が再建するも、応仁の乱(1467 〜 1477)で焼失。その後明応九年(1500)に吉田兼倶によって再興された。

現在の社殿は文政六年(1823)、拝殿は元禄十六年(1703)頃に建立されたもの。

旧粟田口村の産土神として信仰され感神院神宮、粟田天王宮とも呼ばれていたが、明治時代に現在の粟田神社へ改称された。

粟田神社の見どころ

旅の安全祈願

粟田神社は東海道の起点である三条大橋のすぐ近くにあることから、長年に渡り旅行守護の社として信仰されている。

摂社 鍛冶神社

鍛冶神社

粟田神社の周辺は、平安から室町時代にかけて三条派、粟田派と呼ばれる刀鍛冶の集団が住んでおり、後世に名を残す多くの名工が生まれた。

粟田神社の境内にある摂社 鍛冶神社では、鍛冶の神 「天目一箇命(アメノマヒトツノカミ)」の他、特に傑出した刀鍛冶である宗近、吉光を「三条小鍛冶宗近命(サンジョウコカヂムネチカノミコト)」、「粟田口藤四郎吉光命(アワタグチトウシロウヨシミツノミコト)」として祀っている。

悪運を断ち切り良運を切り開く、あるいは勝運の神として信仰されている。

10月の粟田祭

粟田神社では、毎年10月の体育の日の前々日から15日まで「粟田祭」が催される。

特に体育の日の神幸祭で行われる「剣鉾差し」は、祇園祭の山鉾の原形とされる妙技として名高い。

ご利益 願掛け

  • 厄除け
  • 旅行守護
  • 悪病退散
  • 縁結び
  • 良運(鍛冶神社)
  • 勝運(鍛冶神社)
  • など

粟田神社 写真撮影の注意事項

特になし。

粟田神社の混雑

空いている日が多い。

粟田神社の御朱印

300円。摂社の鍛冶神社の御朱印もある。

粟田神社のアクセス

住所と地図、経路のリンク

電車 バス

  • 地下鉄 東西線「東山駅」、「蹴上駅」徒歩7分
  • 市バス(系統:5、46、急行100、急行110、岡崎ループ)「神宮道」徒歩5分

駐車場

なし。

三条通り沿いのコインパーキング、または平安神宮の前にある岡崎公園駐車場などを利用。

岡崎公園の駐車場

粟田神社の基本情報

粟田神社の参道

  • 名前:あわたじんじゃ / awatajinja
  • 創建:876年
  • 祭神:建速素戔嗚尊 / 大己貴命
  • 公式情報:http://awatajinja.jp
  • 観光エリア:祇園・八坂神社・青蓮院
  • 住所:〒605-0051 京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1( →地図でみる
  • 受付時間:境内自由 / 9:00 ~ 17:00(社務所)
  • 拝観料:無料
  • 所要時間の目安:15分