宝筐院の概要
宝筐院は、平安時代に白河天皇の勅願寺として建立された善入寺(ぜんにゅうじ)にはじまるとされる。
承和年間(1345 〜 1350)に夢窓疎石の高弟 黙庵周諭(もくあんしゅうゆ)が室町幕府二代将軍 足利義詮(あしかがよしあきら)の庇護をうけて臨済宗の寺院として再興した。
善入寺は義詮の死後その菩提寺となり、義詮の法名から宝筐院という寺名に改名。
室町時代前半には足利家の後ろ盾を得て大いに興隆したが、応仁の乱(1467 〜 1477)で被害を受けた後は長年に渡り衰退し明治時代にはついに廃寺となってしまった。
大正六年(1917)に楠木正行(くすきまさつら)の菩提を弔うために再興されて現在に至っている。
宝筐院の見どころ
紅葉と四季折々の花が楽しめる回遊式庭園
宝筐院の庭園はもみじや季節ごとに花を咲かせる数々の植物で彩られており、特に秋の紅葉シーズンの美しさは見事である。
足利義詮と楠木正行の墓地
宝筐院の庭園には、生前敵同士であった足利義詮と楠木正行の墓が隣同士で並び立っていることで知られる。
二人の父 足利尊氏(あしかがたかうじ)と楠木正成(くすきまさしげ)は建武の新政の実現に向けて協力関係にあったが袂を分かち、後に正成は尊氏に敗北。
息子の正行も尊氏に仕えた高師直(こうのもろなお)との戦に破れ、生前親交のあった黙庵周諭と縁のある当寺に葬られることになった。
後に黙庵に帰依した足利義詮は、黙庵から伝え聞いた正行の人柄に深く心酔し自身の墓地を隣に建てるよう頼んだことが由来という。
石灯籠には富岡鉄斎によって義詮の徳の大きさを称える言葉が揮毫されている。
宝筐院 写真撮影の注意事項
三脚を所持したままの入場禁止。中判カメラなども持ち込み不可。
宝筐院の住職は庭園の世話にこだわりのある方で、かつて一部のマナーの悪いカメラマンによって境内の情緒が失われたことに激怒し、写真撮影だけを目的とした人に対しては非常に厳しいスタンスをとっている。
参拝前に公式サイトの注意書きをよく読んでおきたい。
宝筐院の混雑
平時は空いている日が多い。
紅葉シーズンはやや混雑する。
宝筐院の御朱印
300円。スタンプ式。
宝筐院のアクセス
住所と地図、経路のリンク
- 〒616-8424 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9( →地図でみる)
- →現在地から宝筐院の経路を表示
- →京都駅から宝筐院の経路を表示
電車 バス
- 嵐電「嵐山駅」徒歩15分
- JR線「嵯峨嵐山駅」徒歩15分
- 市バス(系統:28、91)「嵯峨釈迦堂前」徒歩3分
- 京都バス(系統:62、72、90、92、94)「嵯峨釈迦堂前」徒歩3分
駐車場
なし。
清凉寺の有料駐車場などを利用。
宝筐院の基本情報
- 名前:ほうきょういん / houkyouin
- 創建:不詳 / 平安時代白河天皇の頃
- 山号:善入山
- 開山 / 開基:白河天皇
- 宗派: 臨済宗
- 本尊:十一面千住観音
- 公式情報:http://www.houkyouin.jp
- 観光エリア:嵐山・嵯峨野
- 住所:〒616-8424 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9( →地図でみる)
- 受付時間:9:00 ~ 16:00(紅葉シーズンは16:30)
- 拝観料:500円
- 所要時間の目安:30分