法住寺

法住寺殿の正門跡

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法住寺の概要

法住寺は、永祚三年(989)に右大臣 藤原為光が早逝した妻と娘の菩提寺として建立した。

創建当時は広大な寺領を誇ったが、長元五年(1032)に焼失。

当寺の本尊の不動明王を守護仏として崇敬していた後白河天皇は、退位して上皇となり応保元年(1161)に法住寺の跡地に自身の御所を造営して院政をしいた。

現存する新日吉神宮新熊野神社はこの法住寺殿の鎮守として創建された社であり、また三十三間堂も元は上皇の勅命を受けた平清盛が法住寺殿の境内に建立したお堂にはじまる。

同じく近隣にある妙法院も後白河上皇(法皇)を第一世とする門跡寺院である。

平清盛亡き後の寿永二年(1183)、法住寺殿は木曽義仲の襲撃を受けて焼失。

後白河上皇が崩御して以降、法住寺殿の跡地には法華堂が建立され上皇の御陵となり、法住寺も御陵を守護する寺院として存続した。

明治維新がはじまると御陵が宮内省の管轄となったため寺院だけが分離し大興徳院という寺名に改称したが、昭和三十年(1955)に再び法住寺の名に戻った。

法住寺の見どころ

後白河上皇、親鸞縁の仏像

木曽義仲の法住寺殿襲撃の際、当時の天台宗座主 明雲が法皇をかばって亡くなったことから、本尊の不動明王が明雲となり身代わりになったと信じられ、この像は「身代わり不動明王像」と呼ばれている。

また忠臣蔵で有名な大石内蔵助が身代わり不動明王像に祈願した縁で、四十七士木像が祀られているほか、明治維新後に仏光寺から運ばれてきた親鸞作の阿弥陀如来像、そば喰いの御像も安置されている。

写経・写仏体験

法住寺では予約制の写経・写仏体験を実施。1500円 〜 2000円で誰でも参加できる。

法住寺 写真撮影の注意事項

お堂内部は撮影不可。

法住寺の混雑

空いている日が多い。

法住寺の御朱印

法住寺の御朱印

300円。

靴を脱いでお堂にあがり、本尊を参拝した人のみ授与される。

法住寺のアクセス

住所と地図、経路のリンク

電車 バス

  • 京阪電車「七条駅」徒歩7分
  • 市バス(系統:86、88、急行100、急行110、206、208)「東山七条」徒歩3分
  • 市バス(系統:86、88、急行100、、急行106、急行110、206、208)「博物館三十三間堂前」徒歩3分

駐車場

法住寺の駐車場

南側に参拝者用の無料駐車場があるが、この通りは西向き一方通行のため七条通(三十三間堂の横側)からは入れない。

東大路通から迂回する必要がある。

法住寺の基本情報

法住寺の門