修学院離宮の概要
江戸幕府と折り合いが悪かった後水尾天皇(ごみずのおてんのう)は、徳川家に相談することなく天皇を退位して上皇となり、隠棲の地を探していた。
承応四年(1655)、上皇は第一皇女梅宮が創建した円照寺(現在の上離宮のあたりにあった)を訪れた際にこの地に惹かれ、山荘の造営を開始。
現在は上離宮、中離宮、下離宮の三ヶ所に茶屋が存在しているが、造営当時は上の茶屋と下の茶屋だけで中の茶屋はなかった。
中の茶屋は、かつて同地にあった林丘寺という門跡寺院が明治十九年(1886)に移転する際に残された建物を編入したもの。
創建当時から残る建物は上離宮 浴龍池の中島にある窮邃亭(きゅうすいてい)のみだが、庭園全体は当時の構成を保つ。
後水尾上皇は詩歌、茶道、管弦など幅広い文化に精通していた人物で、修学院離宮の造営に関してもこと細かな指示を出したと言われる。
なお「しゅうがくいんりきゅう」という読み方は間違いではないが、「しゅがくいんりきゅう」と呼ばれることが多い。
修学院離宮の見どころ
京都市街を一望できる広大な山荘
上離宮 隣雲亭からは京都市街を一望できる。
浴龍池は比叡山から流れる音羽川の水を引き込んだ人工池。
中島とを結ぶ橋は中国風で違和感を覚えるが、それもあえて意図的にアンバランスさを演出していると言われる。
下離宮は上皇が御幸した際に上離宮へ向かう前の休憩所であり、寿月観が御座所として利用されていた。
後から離宮に編入された中離宮の客殿にある「霞棚(かすみだな)」は、桂離宮の「桂棚」、醍醐寺 三宝院の「醍醐棚」とならび天下の三大名棚として名高い。
当時の面影を残す田園風景
修学院離宮にある上・中・下の各離宮は、田んぼの中にある松並木を通って行き来する。
松並木は後に整備されたもので造営当時はただのあぜ道であり、かつては皇族の離宮でありながら垣根なども存在しない開放的な山荘だった。
上皇はこの離宮で農民の暮らしや田園の四季といった「日本の原風景の美しさ」に思いを馳せていたとされる。
昭和三十九年(1964)、景観保全と防犯のために周囲の田園は宮内庁によって買い上げられ、現在は地元の農家に貸し出されている。
修学院離宮 写真撮影の注意事項
三脚禁止。
修学院離宮の参観予約
修学院離宮は宮内庁が管理する施設のため、参観には事前申し込みが必要。
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予約申込方法 4パターン
- 往復はがきによる郵送予約
- 公式サイトからネット予約
- 宮内庁京都事務所で手続き
- 当日予約
いずれの方法も細かいルールが定められているので、公式サイトの要項を熟読してからの申し込みが必須。
修学院離宮のアクセス
住所と地図、経路のリンク
- 〒606-8052 京都府京都市左京区修学院藪添( →地図でみる)
- →現在地から修学院離宮の経路を表示
- →京都駅から修学院離宮の経路を表示
電車 バス
- 市バス(系統:5、31、65)「修学院離宮道」徒歩15分
- 叡山電車「修学院駅」徒歩20分
駐車場
離宮参観者用の駐車場はないが、入り口のすぐ前にコインパーキングがある。
修学院離宮の基本情報
- 名前:しゅがくいんりきゅう(しゅうがくいんりきゅう) / shugakuinrikyu
- 造営年:1655 〜 1659年
- 公式情報:https://kyoto-gosho.kunaicho.go.jp/shugakuin-rikyu
- 観光エリア:八瀬・修学院・一乗寺
- 住所:〒606-8052 京都府京都市左京区修学院藪添( →地図でみる)
- 受付時間:9:00 ~ 15:00
- 参観休止日:月曜(祝日の場合は次の火曜) / 年末年始 / その他不定休あり
- 入場料:無料
- 所要時間の目安:1時間30分