三十三間堂の概要
平安時代後期、後白河上皇は御所である法住寺殿を拠点に院政をしいた。
三十三間堂は、長寛二年(1164)に上皇の勅願を受けた平清盛が法住寺殿の境内に造営したお堂にはじまるという。
正式名称は蓮華王院。三十三間堂という通称は、本堂の母屋内陣の柱間が三十三あることに由来する。
一度焼失するが文永三年(1266)に再興。本堂は鎌倉時代の再建時のものが現存しており、応仁の乱(1467 〜 1477)でも焼失しなかった数少ない遺構として大変貴重なもので国宝にも指定されている。
南大門と築地塀(太閤塀)は桃山時代の建立で方広寺の遺構とされる。
天正十四年(1586)に豊臣秀吉が方広寺を建立した際にはその千手堂として取り込まれたが、秀吉亡き後から現在に至るまで妙法院に管理されている。
三十三間堂の見どころ
お堂に立ち並ぶ圧巻の仏像
三十三間堂のお堂内部は南北に約120mあり、湛慶作の千手観音坐像の両脇に500体ずつの十一面千手観音立像が並んでいる。
これらは運慶、湛慶、康慶を中心とした70人ほどの仏師によって制作された。124体のみ創建時のものが現存し、残りはすべて鎌倉時代の再建時に作り直されたもの。
1001体すべてを合わせて本尊である。
長年数体が国立博物館に寄託されていたが、平成の終わりに返還されため現在は1001体すべてが揃った状態を拝むことが出来る。
この際、一部の仏像は近年の研究に基づいて配置の入れ替えが行われた。
その他にも、堂内には後世の風神雷神図のモデルになったとされる国宝の風神・雷神像や二十八部衆像が安置されている。
鎌倉時代の再建時に仏像制作の中心になったのは湛慶であり、風神・雷神像も作者は不詳だが湛慶の影響が強いという。
湛慶の父 運慶と快慶は奈良県 東大寺南大門の金剛力士像を共作した後に袂を分かち、運慶は幕府の元で男性的な荒々しい作風の仏像を、一方の快慶は寺院の格や権力にとらわれず柔和で繊細な阿弥陀如来を多数制作したことで知られる。
湛慶の作風は双方の影響を色濃く受けているとされ、三十三間堂では穏やかな千手観音像に快慶の、雄々しい風神・雷神像に運慶の面影を感じることができる。
楊枝のお加持と通し矢
毎年1月15日に近い日曜に催される「楊枝のお加持」は三十三間堂の縁日であり、頭痛封じのご利益があると信じられている。
同日に庭園で行われる「通し矢」に由来する弓道大会も有名。
三十三間堂 写真撮影の注意事項
お堂内部は一切の写真撮影が禁止。
三十三間堂の混雑
人は多いが、境内、建物内ともに広いため自分のペースで見て回れないほど煩わしくはない。
春から秋にかけては朝8時半から入場できるため、早朝に訪問すると混雑を避けられる。
三十三間堂の御朱印
300円。
三十三間堂のアクセス
住所と地図、経路のリンク
- 〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り657( →地図でみる)
- →現在地から三十三間堂の経路を表示
- →京都駅から三十三間堂の経路を表示
電車 バス
- 京阪電車「七条駅」徒歩7分
- 市バス(系統:86、88、急行100、、急行106、急行110、206、208)「博物館三十三間堂前」徒歩すぐ
- 市バス(系統:86、88、急行100、急行110、206、208)「東山七条」徒歩3分
駐車場
広い無料駐車場がある。
近くには養源院、京都国立博物館などがあるが、車をおいたまま他の観光地に移動するのは禁止。
三十三間堂の基本情報
- 名前:さんじゅうさんげんどう / sanjusangendo / れんげおういん / rengeouin
- 創建:1164年
- 山号:ー
- 開山 / 開基:後白河上皇
- 宗派:天台宗
- 本尊:千手観音
- 公式情報:http://www.sanjusangendo.jp
- 観光エリア:清水寺・産寧坂・三十三間堂
- 住所:〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り657( →地図でみる)
- 受付時間:8:30 ~ 16:30(11/16 〜 3/31は9:00 〜 15:30)
- 拝観料:600円
- 所要時間の目安:1時間