伏見桃山 酒蔵と十石舟の概要
琵琶湖から大阪湾へ注ぐ淀川(宇治川)の通り道となる伏見の地は古来から農耕や水運の要衝として栄えた地であった。
平安時代には城南宮の周辺に鳥羽上皇の離宮が造営されるなど貴族の別荘地として栄え、院政の拠点となったことから政治・文化の中心地となる。
その後、豊臣秀吉が伏見城を築城するにあたり城下町として開発された町並みが今の伏見桃山の基盤である。
町中には現在も鉤型路(かぎがたろ)など城下町時代に整備された痕跡が数多く残る。
江戸時代には徳川家康が淀川の水運の拠点として港を整備。伏見港は当時日本最大の河川港となって繁栄した。
戊辰戦争の火蓋を切った鳥羽・伏見の戦いの舞台となった後、明治時代には豊富な地下水を生かした酒造りが盛んとなり現在に至っている。
伏見桃山 酒蔵と十石舟の見どころ
酒蔵の町並みと湧き水
伏見は「伏水」とも表記されるほど上質な地下水が豊富な地であり、明治時代以降には多くの酒蔵が生まれた。
長年京都府の日本酒生産量は兵庫県に継いで第二位で全国の約15%を占めており、月桂冠や黄桜など日本を代表する酒造メーカーは現在も伏見に本社を置いている。
周辺には日本酒を楽しめるレストランの他、無料で入場できる酒造りの道具の展示場、名酒を生み出すもととなる湧き水の取水場などがある。
十石舟と桜
伏見では水の上から酒蔵を眺めてまわる十石舟と三十石船が運行されている。
十石舟は3月下旬〜12月上旬、三十石船は11月の休日のみの営業となり料金は1200円ほど。詳しい日程やタイムスケジュールは→公式サイトを事前に要確認。
十石舟の運行ルートはソメイヨシノの名所として知られ、桜の時期には多くの観光客で賑わう。
坂本龍馬と寺田屋事件
慶応二年(1866)に勃発した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件は伏見桃山にある寺田屋が舞台となったことから寺田屋事件、寺田屋遭難などと呼ばれる。
ただし、現在跡地の横にある建物は明治時代以降に再建されたものであり、営業も大正時代に土地と建物を取得した寺田家とは無関係の人物によって行われている。
龍馬やお龍が利用した痕跡が直接残っているわけではないので留意されたい。
伏見桃山 酒蔵と十石舟 写真撮影の注意事項
特になし。
伏見桃山 酒蔵と十石舟の混雑
空いている日が多い。
桜の季節はやや混雑する。
伏見桃山 酒蔵と十石舟のアクセス
住所と地図、経路のリンク
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酒蔵 寺田屋周辺
- 〒612-8045 京都府京都市伏見区南浜町263( →地図でみる)
- →現在地から伏見桃山の経路を表示
- →京都駅から伏見桃山の経路を表示
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十石舟
- 〒612-8045 京都府京都市伏見区南兵町247( →地図でみる)
- →現在地から十石舟乗り場の経路を表示
- →京都駅から十石舟の経路を表示
電車 バス
- 京阪電車「伏見桃山駅」徒歩10分
- 近鉄電車「伏見桃山駅」徒歩10分
- JR「桃山御陵駅」または「観月橋駅」徒歩15分
駐車場
周辺にコインパーキングがたくさんある。
伏見桃山 酒蔵と十石舟の基本情報
- 名前:伏見 酒蔵の町並みと十石舟 / fushimi sakaguranomachinami jukkokubune
- 造営:明治時代以降
- 公式情報:https://kyoto-fushimi.or.jp
- 観光エリア:城南宮・伏見桃山・石清水八幡宮
- 住所:〒612-8045 京都府京都市伏見区南浜町263( →地図でみる)
- 所要時間の目安:1時間30分