本圀寺の概要
本圀寺は、建長五年(1253)に日蓮が鎌倉 松葉ヶ谷に創建した法華堂にはじまる。日蓮はこの法華堂に二十二年ほど住持したという。
正式名称は大本山 本国土妙寺といい、かつては本国寺とも表記されていた。
嘉暦三年(1328)に後醍醐天皇の綸旨を受け、貞和元年(1345)光厳天皇の勅命により京都の六条堀川へ移転。
貞和三年(1348)に光明天皇より日蓮の正しい教えを伝えていることを証明する「正嫡付法(しょうちゃくふほう)」を賜り、文明十四年(1482)には土御門天皇より法華総本寺として承認を受けた。
京都移転後に住持を努めた日静(にちじょう)は上杉家の出身で足利尊氏の叔父にあたり、本圀寺は朝廷、幕府双方から庇護を受けて大いに興隆。
京都最古の日蓮宗寺院 妙顕寺の四条門流に対し、六条門流と称された。
天文五年(1536)の法難で焼失し大坂の堺へ避難した後、再び六条堀川の地に戻り再興。天明八年(1788)の大火でも焼失したが、すぐに再建されている。
昭和十六年(1941)の本末解体により衰退し、戦後の昭和四十六年(1971)に現在の山科の地へ移転した。
経蔵のみ天明の大火を免れ、現在の境内へ移築されている。
本圀寺は洛中法華二十一ヵ寺本山の一つに数えられ、また日蓮自ら創建した寺であることから日蓮の念持仏「立像釈尊像」、真筆の「立正安国論 広本」のほか、元俊作「大涅槃図」などの寺宝を所有している。
本圀寺の見どころ
日蓮が創建した由緒ある寺院
本圀寺は現在の山科移転後の歴史こそ浅いものの、日蓮宗の開祖 日蓮本人により開山された由緒正しき大寺院である。
足利義昭や織田信長が京都の宿泊所として利用していたほか、豊臣秀吉の姉 村雲日秀尼(むらくもにっしゅうに)が得度した地としても知られる。
水戸黄門の別称で有名な徳川光圀も当寺の守護に尽力している。
また法華経の信徒であった加藤清正とも繋がりが深く、本堂の裏手には清正を祀る廟が移築されている。
本圀寺の赤門も文禄元年(1592)に加藤清正が寄進したもので、平成に入り修築された。
貧しい出自から立身出世した加藤清正にあやかり、題目を唱えながらこの赤門をくぐると開運のご利益があると信じられており、開運門とも呼ばれている。
本圀寺 写真撮影の注意事項
特になし。
本圀寺の混雑
空いている日が多い。
本圀寺の御朱印
手書き500円。書き置きは300円。
本圀寺のアクセス
住所と地図、経路のリンク
- 〒607-8403 京都府京都市山科区御陵大岩6( →地図でみる)
- →現在地から本圀寺の経路を表示
- →京都駅から本圀寺の経路を表示
電車 バス
- 地下鉄 東西線「御陵(みささぎ)駅」徒歩15分
駐車場
門の前に無料の駐車場がある。