大超寺の概要
大超寺は、天正十九年(1592)後陽成天皇の勅願を受けた浄福寺の第四世 勝誉泰童によって創建された浄土宗の寺院。
創建当時は西陣の中心部、千本一条の東側に広大な伽藍が築かれ、現在も当時を開山した上人の名前を冠した「泰童片原町」という地名が残っている。
昭和五十九年(1984)に開発が進む京都の市街を離れ、閑静な岩倉の地へ移転した。
千本一条にあった頃、大超寺の境内は明治四十二年(1909)に公開された尾上松之助のデビュー作「碁盤忠信・源氏礎」のロケ地となったほか、日本映画の父とも称される牧野省三の「本能寺合戦」(1908年)も当寺で撮影されたという説がある。
このことから、大超寺は日本の時代劇発祥の地とされている。
また境内にある遺髪塚は後陽成天皇とその母 新上東門院のもの。
大超寺の見どころ
本尊 神明の弥陀
大超寺の本尊 阿弥陀三尊像は恵心僧都が伊勢神宮に参籠した際に夢に現れた仏様の姿を彫刻したものと伝わる。
彫刻の際には天照大神の助力があったという伝説があり、当寺を開山した泰童が拝んだ際に「伊勢に参拝できないものは、この阿弥陀如来を拝み念仏を唱えれば天照大神の化身として都と皇室を守るだろう」と告げられたという。
この由緒から伊勢神宮との繋がりが深く、境内には伊勢より賜ったと伝わる石灯籠や神鏡があり、本尊は「神明の弥陀」とも呼ばれている。
また本尊が安置されている宮殿は、享保十六年(1731)の墨跡や葵御紋が各所に残されていることから徳川吉宗による寄進という説がある。
鍬形薬師と善光寺如来像
本尊脇の銅製の薬師如来像は田んぼの中から掘り出されたと伝わり、このときに鍬の傷がついたことから「鍬形薬師」という別名がある。
この薬師如来は泰童の念持仏であり、病の母の快方を念じたところ叶ったという逸話から病気平癒の信仰を集める。
本堂には絶対秘仏として知られる信州善光寺(長野県)の本尊を模刻した善光寺如来像も祀られており、こちらは江戸時代に善光寺から下賜されたものという。
中国の北魏の様式で彫刻された珍しい様式は「一光三尊仏」と称され、全国各地に同じような模刻像が存在する。
もう一体の阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作とされ、関西では珍しいという宋元模様を取り入れた写実的な彫刻となっている。
大超寺 写真撮影の注意事項
本堂内部は撮影禁止。
大超寺の混雑
空いている。
大超寺の御朱印
300円。
大超寺のアクセス
住所と地図、経路のリンク
- 〒606-0024 京都府京都市左京区岩倉花園町640−2( →地図でみる)
- →現在地から大超寺の経路を表示
- →京都駅から大超寺の経路を表示
電車 バス
- 叡山電車「八幡前駅」徒歩20分
- 京都バス(系統:21、23、24、26、41、43)「花園町」徒歩5分
「花園橋」というよく似た名前のバス停が近くにあるので要注意!
駐車場
参拝者用の無料駐車場がある。